【欅坂46】今更ながら「黒い羊」PVを考察。平手の抱える「絶望」と「諦観」
欅坂46の8枚目シングル「黒い羊」に関して、面白い考察を見つけた。
今更ながら「黒い羊」における絶望と諦観について考えたい。
欅坂46“黒い羊”と「絶望」。誰が平手友梨奈の「僕」を救うのか?
https://www.cinra.net/column/201902-keyakizaka
黒い羊の歌詞は、主張と諦観が入り乱れている。
中でもサビの前にある「全部僕のせいだ」に関しては、
主張しても仕方がない。黒い羊である僕が悪いんだという、諦めが強い曲である。
最終的には、悪目立ちしてもいいから
「白い羊」にはなりたくない。という締めくくりをする。
初期の曲に比べると、個人の主張だけではなく、
少し全体像を見ているのが分かる。
集団とは異なる僕を、客観的に見れている。
平手がPVで持ち歩く彼岸花には、
「諦め」「情熱」「独立」「再会」「転生」「悲しい思い出」
といった花言葉がある。
さまざまな絶望を抱えたメンバーが、
平手と抱き合うことで救われていくストーリーだ。
だが、メンバーを救うに従って平手には
絶望が寄せ集められているようにも見える。
実際、最後には救ったはずのメンバーに屋上で
追い込まれて、冒頭の事故現場に繋がる。
彼岸花の転生はここでつながってくるのだろう。
引用
「僕」、「僕」と同様に指を差され「白い羊のふりをする者」から「黒い羊」であることを選んだ小林、「白い羊」と「白い羊のふりをする者」との中間的な立場と思しき石森という異なる性質を持つ3人が三角形を描く姿は、「白」か「黒」かとはっきりさせることのできない人